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【No.124】 2003年3月21日号
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「降りていく生き方」のほくほく感
この本の題材は、僕自身1997年頃に取材の経験があり、当コラムでも何度か触れたことがある北海道・浦河の精神障害者のコミュニティ「べてるの家」です。べてるの家は、介護用品などを販売する福祉ショップ、賃金が少ないながらも働く場として重要な役割を担う小規模作業所、精神障害をもつメンバーらが住まうグループホームなどで構成されてきた組織で、地元の浦河赤十字病院の精神神経科を退院した人や、入院・通院中の当事者メンバーの活動拠点となっています。 精神障害者の多くは、社会的な入院を含めた入院生活が長く、退院して地域に出ても、働く場所や居場所に事欠く場合が少なくありません。こうした受け皿を整備しているところは全国あちこちにありますが、べてるの家はとてもユニークな試みで知られ、各地ではどうにもうまくいかなかった当事者メンバーが、最後の望みを託すように続々と集まってきます。97年に取材した当時は、全員そろっても30人程度だったと記憶していますが、今では軽く100人を超えているようです。 昨年は、当事者メンバーが理事長や役員をつとめる社会福祉法人を立ち上げたり、世界120カ国の精神科医らが集まる「世界精神医学会・横浜大会」でメンバー自身が壇上で活動報告を行いました。いずれも、精神障害を抱える当事者メンバーが主役となるのは、日本ではきわめて異例といえます。 べてるの家の特徴は何なのか。これを説明するのは骨の折れる作業です。かの田口ランディさんも、自らのメルマガで「説明すればするほど、私は『べてるの家を語れない』というドツボにはまっていくのであった。どうしゃべっても実態とズレてしまうのだ」*と告白していますが、まさにその通り。詳しくは本をご覧いただくのが一番の近道ですが、ユニークさを表すエピソードの一つを本書から引用してみましょう。 本の後半に、一郎さんという31歳の男性の例が登場してきます。大企業で黙々と働くなかで発病し、べてるの家にやってきました。一郎さんは、症状の一つとされる幻聴に悩まされていて、宇宙人から「襟裳岬から出発する宇宙船に乗ろう」と誘われています。宇宙船には片思いの女性が乗船していて、今すぐ乗船しないと間に合わないから、誰か襟裳岬まで車を走らせてほしい、と言い出したのです。べてるの家では日常茶飯事の、些細なトラブルの一つです。 これまでの精神科医療の世界であれば、一郎さんを騙してでも閉鎖病棟に入院させ、キツめの薬を投与して放心状態にさせて、症状を押さえ込んでしまうのがベストな医療判断なのかもしれません。でも、べてるの家では、周囲にいる当事者メンバーがまず手をさしのべます。それも「行ったらダメ!」と立ちはだかるように制止するというより、掛け合い漫才のようなやりとりで、本人の気持ちを受け止め、笑いと共にやり過ごしていくのです。 「誰が(宇宙船の)運転するの?/オート運転なの?」「僕が運転するそうです」「でも免許もってないでしょ」「免許証はいらないそうです」。本人の真剣な受け答えに、皆は腹を抱えて笑います。そして、「無免許だと警察に捕まるよ」「襟裳岬はとがった岬だから、宇宙船はうまくおりられないんじゃないかなあ……」などと言い、それでも決意が固いとわかると、やはり宇宙人に誘惑を受けた先輩にアドバイスしてもらおうと、先輩のアパートへ行きます。アドバイスができる「先達者」がちゃんといるというところが、べてるの家のすごさでもあります。 一郎さんはその夜、「川村宇宙センター」に行こうよと促され、かかりつけの精神科医・川村敏明さんのもとを訪ねることになりました。先生は「素晴らしい経験をしたね。アドバイスしてくれる人がいっぱいいて良かったね。この町には、宇宙船で大けがした人がいっぱいいるんだよ、ハハハ」と言って迎え入れます。そして、たまたま同じ日に無理矢理連れてこられて入院した別の患者と比べて、「彼はとてもゴージャスな入院をした」と評するのです。 べてるの家では、多くの仲間が集い、それぞれが自分の病気について語り合う術を身につけていきます。そして、当事者同士が自分の体験にもとづいて、別のメンバーの悩みや苦しみを引き受ける。機会さえあればミーティングを繰り返し、多くの語り部や聞き手を育てる。こうした循環を淡々と繰り返しながら、ほくほくとした豊かな土壌のような場を育ててきました。 ただ、こうした場はすぐにできたわけではありません。キーマンは、この地に1978年にやってきたソーシャルワーカーの向谷地生良さんです。著者の横川さんは、向谷地さんのこれまでの経歴や体験を辿りながら、べてるの家が形成されるルーツを丹念に描いていきます。僕自身、以前から大いに興味があった部分です。 大学を卒業したばかりの新米ソーシャルワーカーとして赴任した向谷地さんは、アルコール依存症を抱える家族の悲惨な状況に直面して何もできない無力感を味わい、精神障害をもつ当事者との共同生活でトラブルに巻き込まれながら、自分なりの手法を見出していきます。そう、当事者たちの病を断ち切ったり、苦悩を無くすための支援なんてできないのだ。できるのは、伴走者として苦悩を共有すること、そして苦悩を共有できる人間関係づくりを支援することではないか、と。 一般的に、精神病を抱えた人たちは何もできない人たちだとレッテルを張られます。入院や薬の投与で病気を押さえ込む「正統派の医療行為」が繰り返され、結果的に本人らしさ(この本のなかでは当事者性と書いています)を奪ってきました。本のなかで向谷地さんはこう語っています。「ぼくが浦河に来て(中略)最初に感じたことは、この人たちは病気によってしあわせを奪われているのではなく、本来的に人間に与えられるはずの苦労を奪われているということでした」。 そして間もなく、苦労の連続であり、人間関係を広げてもいける「商売」をやろうと声をかけ、日高昆布の加工や全国販売を行う小規模作業所を立ち上げて、今日のべてるの家に至る基礎が形作られました。全国から“筋金入りの”個性的な当事者メンバーが集まり、その才能を生かしながら数え切れないほどの事業を立ち上げてもきました。 その後も相変わらず苦労やトラブルのネタは尽きることがないようですが、向谷地さんは「これで順調、順調」と涼しげに受け止めています。トラブルの中から多くの“専門家”が生まれました。自傷行為を繰り返すベテランさんが、自傷行為を繰り返す新人さんにアドバイスをする。親を殴る、物を壊すといった大爆発を繰り返してきた青年が、自らの爆発のメカニズムを理論化・チャート化し、家庭内暴力に苦しむ親や精神科医にレクチャーする……。マイナスと思われがちな苦労やトラブルがプラスに転化していく様には、読んでいてワクワクさせられます。 べてるの家はこれまで、「安心してサボれる職場づくり」「頑張らない」などユニークなキーワードを数々提示してきましたが、数年前から「降りていく生き方」という概念を提示し始めました。本書のタイトルにもなっている言葉です。 病気を治してばりばり働く、お金を儲けて裕福に暮らす、といった高みをめざす右肩上がりの考え方ではなく、病気を抱えつつ、病気と折り合いをつけながら、緩やかにぼちぼちと暮らしていく。自らの苦労の足下にこそ、生き方のヒントや勇気の源泉がある、といった意味でしょうか。症状が芳しくなくても、病ゆえに稼げなくて生活が貧しくても、気持ちの上では「ほっこりとした」幸せ感、仲間と苦労を共有し合う充実感を味わいながら暮らしていける場をつくってきた、べてるの家による究極のコンセプトだといえるでしょう。 時はあたかもバブル崩壊による平成不況のど真ん中。不況だ不況だと嘆きつつ、それでも右肩上がりの幻想を捨てきれないような時代に、この言葉は生まれてきました。弱みを見せたり、悩んだりすることも封印しなければ生きていけないような競争社会のなかにあって、「降りていく生き方も、いいじゃないか。無理せず、悩みや苦労を糧にしながら、ゆるゆると生きていこうじゃないか」というメッセージは、時代の隙間をついた斬新な響きを広げている気がします。 本を読む楽しみもたくさん残しておかなければと、ここでは挙げなかったユニークなエピソードが本書には多くつづられています。なかでも、8年間家に引きこもりながら親との葛藤を繰り返した29歳の男性、壮絶なバトルを繰り広げてきた33歳と27歳のカップルの話は、壮絶な物語です。エピソードの数々に息を呑み、時には吹き出して笑い、べてるの家に集まる人々の暖かさに涙する……。 福祉・医療・教育関係の人だけではなく、競争社会のまっただ中で毎日毎日仕事に明け暮れ、自分の生き方に疑問を感じ始めた人の心にも、多くの感動と共感を広げる本でしょう。是非、多くの人に読んでもらいたいと思いました。 最後に、時間をかけて丹念に取材された、著者の横川和夫さんに敬意を表します。どれだけ多くの取材日数を費やしたものか、どれだけ多くの人たちと対話を繰り返したのか、想像に難くないからです。 *『田口ランディのコラムマガジン』2002年12月24日号「べてるの家の謎」より 【追記】--------------------------------------------- テレビなどで紹介されたこともあり、べてるの家はずいぶん有名な存在になってきました。最近になって、べてるの家を描いた本が続々出版されています。僕が把握している限りのタイトルを、あげておきます。あわせて購読されることを、お薦めします。 ●『悩む力』
(斉藤道雄・著、みすず書房・刊)2002年4月 ●『べてるの家の「非」援助論』
(医学書院・刊)2002年5月 ●『とても普通の人たち(ベリー・オーディナリー・ピープル)』
(四宮鉄男・著、北海道新聞社・刊)2002年11月 |
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