| 今秋にも可決成立に至ろうとしている、「個人情報保護法案」に反対する集会があります。 私は出席しますが、組織に属していないフリーランスの皆さん、個人ホームページ発行者のために、 このお誘い文を、事務局ご了解の上で掲載いたします。 なお、文章の改行は、私個人の判断で加えている箇所があります。また、部分的な色づけは、拾い読みできるように私個人の判断で加えたものです。 ●お誘い文(長文)へ ●予定されているプログラム内容へ |
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9.2日比谷野音「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!2001人集会」集会概要 ●集会名称:9.2日比谷野音「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!2001人集会」
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「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!2001人集会」へのお誘い(長文) 「個人情報保護法案」に反対する野外集会を開きます。 9月2日(日)午後2時から8時まで。 場所は東京、日比谷野外音楽堂です。 ぜひあなたに参加していただきたいと思い、いささか長いこの「お誘い」をお 届けします。どうか意をお汲みいただき、ご参加くださいますようお願いいたし ます。 集会を主催するのは「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」実 行委員会です。どういう人、グループ、組織が参加しているかについてはあとで 述べます。 一人ひとりの個人についての情報を保護する――この法案のどこが悪いのか。 なぜ反対するのか。いや、そもそもこの法案、いったいどういう中味なのか? そのことからお話ししなければなりません。 いま日本の人口はおよそ1億2千万人。その一人ひとりが不況、リストラ、構 造改革、IT、グローバル化、競争原理、消費社会などなどのかけ声が飛び交う 日本列島に暮らしています。かつての地元や地域の共同性も、企業や業界団体な どの各種組織も求心力を失い、みんながばらばらかもしれないという実感のなか で生きています。 とはいえ、この一人ひとりの人間は情報のかたまりでもあります。戸籍、住民 票、学歴、経歴からはじまって、所得や銀行出納や納税やクレジットやローンの 記録、さらにはビルや店舗や改札や道路の出たり入ったりの記録、病歴やカルテ や遺伝子情報やインターネットの接続先履歴にいたるまで、データの集積こそが 個性であり、アイデンティティーであるような世界に私たちは入り込んでいます。 これらの個人情報がその保管場所や保管システムから漏洩したら、どんな厄災 が襲いかかってくるかわかったものではありません。ましてこのネット社会です。 情報はあっというまに思わぬ範囲まで広がり、その被害はいっそう予測困難です。 そういう意味では、個人情報をきちんと保護する仕組みは必要です。欧米でも その制度が作られてきましたし、アジア各国も取り組みはじめました。日本でも 今度の国会で内閣府が作成した「個人情報保護法案」が審議・採決されようとし ているのも、そうした国際的な動きの一環と言うこともできます。 ところが、この法案、2つの点で、他の地域や国々のそれとはちがっています。 決定的なちがいです。 その1は、マスメディアと、個々の作家やフリーライターや評論家やアーティ ストまでふくめた表現活動全体に網をかけようとしている点です。 その2は、政府や各自治体や警察などの公権力が保有する個人情報に対しては 保護義務を課していない点です。 「表現規制」と「民間のみの取り締まり」と言い換えることができますが、以下 にもう少しくわしく見てみます。 法案は第1章から第7章まで、全部で61条で成り立っています。ポイントは 第2章の「基本原則」と、その具体的な義務規定を列記した第5章の「個人情報 取扱事業者の義務等」です。 個人情報取扱事業者とはだれなのかについては「個人情報データベース等を事 業の用に供している者」とあるだけで、明確な定義はされていません。 内閣府官僚の口頭による説明では「それで商売をしているかどうかに関係なく」、1000人単位 以上の名簿などをパソコンなどで検索できるように管理していれ ばだれもが該当する、ということでした。つまり、マスコミ各社はもちろんのこと、企業や業界団体、NPOとNGO、さまざまな市民運動や住民運動も対象となりますし、取材者リスト、視聴者、読者、ファン、電子メールアドレスなどをある程度持っている人も当てはまります。ちょっとした閲覧者のいるホームペー ジ開設者なども当然、入ってきます。この国で暮らす人全員が、と言っても過言 ではありません。 くり返しておきますが、この事業者からは「国の機関」「地方公共団体」「独 立行政法人」「特殊法人」などは除外されています(第2条)。これがこの法案の前提です。 さて、少し中味を見ていきます。 第2章「基本原則」は「適正な取得」「正確性の確保」「透明性の確保」など、 個人情報を取り扱う上での理念を述べています。たとえば「透明性の確保」では、 「本人が適切に関与し得るよう配慮されなければならない」とあります。 他方、第5章「個人情報取扱事業者の義務等」では、その利用目的を限定しな ければならない(第20条)、各情報は不正な手段で取得してはいけないし、相 手方にその利用目的を通知しなければならない(第22条)、取得したデータは 本人の同意を得ないで第三者に提供してはいけない(第28条)、本人の求めが あれば、開示・訂正・利用停止・消去をしなければならない(第29〜32条) などとあります。 そして、もし個人情報の不正な取扱いが明らかになったり、当事者間で問題が こじれたりなどした場合には、主務大臣が個人情報取扱事業者に対して報告させ たり、助言したり、勧告や命令を発することができるというのです(第37〜3 9条)。 もちろん、罰則も決められています。「六月以下の懲役又は三十万円以下の罰 金に処する」(第7章61条など)です。 これらをあやしげな名簿業者や、各種のクレジットやユーザー登録の情報など を密売する悪徳業者を念頭に置いて読めば、まさに正しいことを言っているよう に思われます。なるほど、このくらい厳正にしておかなければ、これからの社会 では個人の秘密も情報もアイデンティティーすらも危うくなる。たしかに私たち はきわどい世界に暮らしています。 けれども、この義務規定を取材や表現や学術研究の場で考えてみるとどうなる でしょうか。わかりやすい例で、政治家や官僚たちの汚職やスキャンダルや職務 怠慢のケースをあげてみます。これらはなにも最近の日本にだけ特殊なことでは なく、古今東西、ちょっとでも権力というものにとりつかれた人間の遺伝的病い と言っていいでしょう。 もしこの法案通 りの法律ができてしまうと、疑惑を持たれた人物たちはメディ アや表現者に対して、なにを、どこで取材したのか、どんな証拠を入手している かを明らかにするよう迫ることができますし、公表しないよう要求することも簡 単に可能になります。 これがこの法案の持っている表現規制の側面 です。 とはいえ、この法案は第6章「雑則」中の第55条で、「放送機関、新聞社、 通信社その他の報道機関」が「報道の用に供する目的」で、また「大学その他の 学術研究を目的とする機関若しくは団体又はそれらに属する者」が「学術研究の 用に供する目的」で個人情報を取り扱う場合には、義務の「規定は適用しない」 と述べています。 飛ばし読みすれば、これは報道や出版の自由、思想や表現の自由に配慮してい るように見えます。しかし、これはそうではなく、そこに枠をはめようという条 文です。 ここでは2つのことを指摘しておきます。 第1に、報道や学術研究以外の表現はすべて規制対象になる、ということです。 テレビや新聞や雑誌の娯楽・生活・文化などに関わる紙・誌面や番組は狭義の報 道には入りませんし、小説家や評論家やアーティストの作品の多くも直接的な報 道とは言えないでしょう。ほぼすべてのホームページの中味も報道とは見なされ ません。 事実、内閣府の官僚らは著名なモデル小説をたとえにあげて、「たんなる娯楽 ですから、これらは規制対象になる」と明言しています。では、だれが報道と娯 楽やエンターテイメントの区別を判断するのか、という私たちの質問に、彼らは 「最終的には主務官庁や大臣が」と答えています。 あらゆる表現活動とそれに付随する個人情報が、実質的にどこかの官庁や大臣 の管轄下に置かれる事態が、ここから起こってきます。 第2に、この法案が、表現というものの基盤を機関や団体だと考え、個人の活 動としてとらえていないことを指摘しておかなければなりません。 報道であれ学術研究であれ、それらが大きな機関や団体のなかで、その所属者 によって行なわれるときには規制対象とはしないが、個人がやるときには規制の 対象になるというのです。これも法案作成にあたった官僚らがはっきり口にして います。 ちなみに「放送機関、新聞社、通 信社その他の報道機関」というメディアの並 べ方は、いまから半世紀前、まだテレビも週刊誌もなかった時代に2、3の法律 で常套的に使われたものをそのまま流用しています。当時と現在とではメディア 状況はすっかり変わり、こんにちでは報道を目的としない放送機関も登場すれば、 表現活動の全分野で個人こそが活動の中心を担うようになっています。 しかし、法案は、メディアの多様化や表現の個人化というこの事態を無視して います。いや、それよりもおそらくは、表現する個人を法律の枠内に囲い込み、 たえず掌握しておきたいのでしょう。 最初にも言いましたが、グローバル化やIT社会の到来とともに、個人情報の 保護がだいじな課題となっていることに、私たちも異存はありません。しかし、 その重要さに、表現規制をまぎれ込ませ、機関としてのメディアと、個人として の表現者を監視し、取り締まろうとするところに、この法案の危険性といかがわ しさが潜んでいます。 私たちはメディアと表現の今日的な現実に多くの問題があることは自覚もし、 理解もしているつもりです。そのひとつひとつについて真剣な議論も必要でしょ う。 が、だからといって、この法案が言うように表現活動全体に主務官庁や大臣を 置いて規制の網をかけてもいいということにはなりません。どう考えてもそれ は、苦い歴史的経験から学び、その後に作り上げてきた報道と出版の自由、表現 と思想の自由を抑圧するものだからです。 言うまでもないことですが、個人という概念は近代以後に生まれました。宗教 共同体や政治権力や国家から自立した自由な個人、権利と責任の主体としての個 人という考え方は、その後の市民社会の原理となってきました。 とはいえ、これまでのところ、いかなる民主主義社会、どんな市民社会も国家 の内側に成立します。そこには戸籍や教育や税金や医療や警察や社会保障など、 さまざまな制度があり、膨大な個人情報が集積しています。国家や公権力こそが もっとも多くの個人情報を集め、所有し、使い、管理しているということこそ が、現実です。 近代市民社会の原理に即して言うなら、個人情報保護のもっとも重要な原則 は、なによりもまず個人がこれら公権力に集中している自分の情報にアクセス し、その中味や妥当性や正確さに関与できる権利が確立される、ということで す。ある程度成熟した民主主義社会において情報公開制度が定着したのもこのよ うな考え方からでしたし、それらの国々では個人情報保護法の制定にあたっても、報道・出版・思想・表現の分野をいっさいはずして、行政と一般 企業を区別せずに同じ平面に置いて義務規定を課し、また個人が自己情報にアクセスする権 利を保障する内容になっています。 ところが、今回の「個人情報保護法案」はすでに見たように、民主主義の根幹 に関わる自由を規制対象にふくめ、かわりに公権力全般をはずしています。 中央官庁や地方自治体については別 途定める法律によって個人情報保護を徹底 する、というのが内閣府官僚らの言い分ですが、これでは順序が逆です。まず公 権力の保有する膨大な個人情報をどう厳格に管理するのか、一人ひとりの個人が 権利と責任の主体としてそれらにアクセスし、開示・訂正・利用停止・消去がで きる仕組みをどのように作るのか、こちらこそ最初に考えられなければならない はずです。 それにしても、なぜこのような逆立ちした「個人情報保護法案」が作られたの か。どうして彼らは与党勢力の圧倒的な強さのなかで、この法案を一刻も早く採 決に持ち込もうと躍起になるのか。当初、私たちにはこれはひとつの「謎」でし た。 法案の条文を何度も検討し、官僚たちとの討論をかさねるうちに、かすかに見 えてきたものがありました。 ふたたび最初にもどりますが、たしかにいま日本社会は激変しています。どこ でも地域や地元の共同性が稀薄になっています。企業も業界もリストラと雇用制 度の改変をくり返し、従業員の忠誠心ややる気を失うことによってしか生き延び られなくなっている。そして、一人ひとりがばらばらに暮らし生きることが、良 くも悪くも当たり前になっています。 こうした状況は政治権力と官僚組織にとっても、これまでの社会管理・運営・ 支配の手法が通用しなくなることを意味します。いわゆる護送船団方式の崩壊で す。加えて、次々と報道される汚職、醜聞、職務怠慢の数々は、彼らの評判と信 用を落とし、ますます人々を国家中枢から離反させていく。 ここであらたな手法を作り出さなければやっていけない、という危機意識が彼 らのなかに芽生えたはずです。 なにをテコに建て直すのか? ばらばらの個人、その一人ひとりが持ち、抱え、引きずっている無数の情報。 それらを掌握し、監視し、管理し、支配することを通じて社会全体を統治するこ と。このような野心の存在に、私たちは気づいたように思います。 個人、情報、産業、権力。その関係の組み替えが、いま私たちの目の前で展開されています。流行語のよ うに叫ばれるさまざまな構造改革の底流に、それがあります。その組み替えを通 じて、あらたな国家と、そこに従順に従う国民を作り出すこと。さらに想像をた くましくすれば、国家に対して批判的だったり従順ではない個人を、個人情報の 不正な取扱いを理由につかまえ、そこにある情報をいわば合法的に奪い、交友関 係と影響力を把握し、その全体を無力化するというグロテスクな情景まで浮かん できます。 こうした一連の政治過程に必要なもの、それがいま審議・採決されようとして いる「個人情報保護法案」の狙いなのだ、と私たちは考えます。 何度も言いますが、これは権利と責任の主体としての個人をおしつぶし、民主 主義社会や市民社会の原理から離れていくものです。個人情報をほんとうに保護 するという理念からも遠いものです。 私たちはいま出されている「個人情報保護法案」に反対し、廃案にするよう強 く求めます。 その上で、報道・出版・表現・思想の自由にいっさい抵触しない、また一人ひ とりの個人が権利と責任の主体として、公権力をふくむ個人情報取扱機関や事業 者の保有する自己情報にアクセスし、コントロールする権利を保障する本来の個 人情報保護法案に作りかえるよう求めます。 冒頭に申し上げた9月2日(日)午後2時からの日比谷野外音楽堂での集会 は、こうした私たちの主張、それぞれの思考や思いを明らかにしよう、という試 みです。 この法案についてはその全容が示された今春以降、新聞、テレビ、雑誌などの 業界組織、各出版社や職能団体、作家やフリーライターや編集者などの集まり が、それぞれ個々に反対の意見を明らかにし、一定の社会的影響を作り出してき ました。 しかし、先の参議院選挙後の極端な与党優勢のもとで、法案はこの秋にも可決 されようとしています。 そこで私たちは、これまで個々にあげてきた反対の声をより大きな規模で、よ りはっきり主張したいと考えました。言い出したのは、この4月に作家、フリー ライター、編集者らが立ち上げた「個人情報保護法案拒否! 共同アピールの 会」(佐野眞一、吉田司、吉岡忍、宮崎学など約150名)ですが、集会の主催 は実行委員会とし、7月末現在で新聞労連、民放労連、出版労連、各地各分野で 活動するNPO、市民運動、消費者運動のほか、多くの個人も加わっています。 長い「お誘い」となりました。 どうかこの法案の危険性やいかがわしさをお考えください。上述しましたよう な考えとはまた別の見方もあると思います。相互の思想や思考の相違を排除しな いこと、これもまた大切なことだと私たちは考えています。そして、法案につい て、ともかくこのまま法律化されてはいけない、とお思いでしたら、ぜひぜひ 「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」に実行委員会メンバーと して、あるいは呼びかけ人として、また当日の発言者としてご参加くださいます ようお願いいたします。 2001年8月2日 |
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