メールマガジン「1980年にタイムマシンで飛んでいけたら楽しいね」
バックナンバー図書館 17号(8月下旬号)
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1980年8月下旬号 |
発行・2002年08月20日
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22年前の「今」をお茶の間感覚で再現 ★★☆☆ 1980年8月下旬の「世の中」ダイジェスト ☆☆★★ ◎相次ぐ惨事とブルブルッ ▼国鉄静岡駅前の地下街とその上に建つビルで、大爆発事故。周辺数十メートルのビルや店舗などが全半壊し、死者14人。自然に発生したメタンガスの小爆発によってガス管が破損して大爆発になったもよう。全国の地下街に不安広がる。▼新宿駅西口のバスターミナルで、発車を待っていた民営バスが炎上し、3人が焼死。中年男が火のついた新聞紙を投げ入れ、ガソリンをまいたため。犯人は現行犯逮捕。▼記録づくめの冷夏。8月上旬の東京の平均気温は、たったの21.3度。ブルルッ。 ★★☆☆ ニュースかわらばん ☆☆★★(1980年の朝日新聞から) ◎パ・リーグにスーパー新人 前年度のドラフト会議で広島指名を拒否し、この年、日本ハム球団に入団した木田勇投手が、8/18の対近鉄戦で23イニング連続奪三振を記録(江夏投手と共に日本タイ記録)。この時点で早くも15勝、ハーラーダービーのトップでした。 ◎自家製塩の配布を「苦い」顔で承認 伊豆大島で、海水を太陽熱で乾燥させて作る食用塩の会員向け配布が承認に。当時、食用塩は専売公社が独占的に販売していたわけで、これが初めての認可でした。専売公社の担当者は、あくまでも「異例の措置だ」と強調。一般の流通経路には乗らないことが条件だそう。 ◎「スーパー銭湯」とはいっても 「銭湯再生へスーパー兼業」の見出しを発見。庶民の銭湯離れが進むなか、生き残りをかけて「スーパーマーケット」との兼業に乗り出すというのが記事の内容。何でも銭湯をビルに改築し、一階には「スーパーマーケット」を誘致、銭湯を二階に、サウナを三階に設けるとの構想だそうで。
記事を読み進めていくと「スーパーマーケット」は実は「コンビニエンスストア」のことだと判明。確かに当時、「コンビニ」といっても読者には通じなかっただろうな。 ◎ジグザグ道路、全国区に 部分的に歩道を車道に出っ張らせ、車道をジグザグにすることで、車がスピードを出して運転できないようにする「ジグザグ道路」、建設省は歩行者優先道路のモデルとして広めていく方針を決定。 何でもこのアイデア、元々は大阪市で先行的に取り組まれたものだそうで、初の事例を大阪市内で建設中。そうか、大阪生まれだったんだ。 ◎インクが消せるわいせつ写真 下半身のヌード写真で、ヘアの部分に事前にフェルトペンで修正を加えたものが「わいせつ」に当たるかどうかを争われていた審判で、裁判所は販売業者に罰金の判断。フェルトペンの修正部分が、簡単に消せてヘアーが丸見えになってしまうため、でした。 ◎編集されて短編映画に 映画は映画館か、地上波テレビで観るしかなかった当時。テレビの時間枠にあわせて名作映画を短縮編集してしまう例が圧倒的に多く、なかにはラストシーンが消えて放映される例もあるのだとか。映画評論家や映画監督の抗議によって、ようやくテレビ用に監督自ら編集し直して放映されるケースも登場。 ◎非科学的な模写? 東海沖地震が懸念されていたこの年に公開された東宝映画「地震列島」に、営団地下鉄が「非科学的、非現実的で、乗客を不安におとしいれる」と抗議文。この映画、大ヒットした「日本沈没」に続くパニック映画(SF映画)で、ラストシーン近くには、激震に見舞われた東京の地下鉄構内に隅田川の濁流が襲いかかるシーンがあったそう。
ちょうど静岡の地下街でガス爆発の大事故があったばかりだったので、神経をとがらせたようですね。 ◎もう一つ地震の話題 大地震が起こったとき、不安に思うのは家族の安否。というわけで、ニッポン放送が、ビジネス街に勤めるサラリーマンやOLの安否を留守宅に放送で伝えるという試みをスタート。春に始めたこの企画、すでに都心のビル110棟が「契約(無料)」したそうな。 ◎インベーダー、退散 1978年夏から1979年春にかけて一大ブームとなった元祖アーケードゲームともいうべき「インベーダーゲーム」のメーカーが倒産。巷では、アナログな「ルービックキューブ」が大流行の兆し。 ◎外国人は翻訳機がわり? 日本で働く外国人のグループが「私たちは外国人ではなく内国人。嘱託ではなく正社員にしてほしい。同じ日本株式会社の一員なのだから」と、ちょっぴり悲痛な訴え。海外へ進出する日本の会社に勤め、海外向けの宣伝文の作成や、社内文書の英訳などにたずさわり、働きバチの日本人と同じように働いているのに、待遇は昇進チャンスの少ない嘱託社員。結局は、翻訳機がわりなの?と疑問が山積しているそう。 ◎「女子高生のパーマ禁止」に反響続々 朝日新聞が8/10の記事で「女子高生のパーマを禁止した事例」を紹介したところ、読者から投書がぞくぞく。投書を寄せてきた大半は、厳しい校則に不満をもらす当の女子高生たち。「パーマをかけたら非行に走るなんてナンセンス」「縮れ毛(天然パーマ)の私は差別されている」などの意見が紙面に。 ★★☆☆ 当時のテレビ(とラジオ)欄から ☆☆★★ ◎歌番組の「苦悩」 木曜の夜9時からTBSは「ザ・ベストテン」。1978年にスタートし、視聴率が常時30%前後を稼ぎ出していた人気番組でしたが、ニューミュージック(もはや死語)系のアーティストで出演交渉に苦戦。ベスト10入りアーティストすべてが出演拒否したら……と気をもんでいるそう。 当時はまだ、ビデオクリップなんてなかったしなあー。 ★★☆☆ なつかし新聞広告 ☆☆★★(1980年の朝日新聞から) ◎新旧交代 間もなく引退コンサートをする山口百恵さんの最後のオリジナルアルバムの広告。字が見えにくいでしょうが、広告の左端には、松田聖子さんのデビューアルバムが。
◎コンビニエンスストアとは フランチャイズ店経営者募集をねらった広告ですが、コンビニとはどんな商売か、事細かに説明が必要だったのですね。この広告で店舗が増えたのか、「セブンイレブン」は1980年11月にようやく1,000店に到達。今は9,060店(2001年度実績)。
★★☆☆ ヒットチャート ☆☆★★(民放FMの「ポップスベストテン」より) 今回は洋楽。8/16付ランキングです。 1 カミング・アップ(ポール・マッカートニー) 2 恋のブラス・イン・ポケット(プリテンダーズ) ポール・マッカートニーさん、間もなく来日。1980年のようなこと(来日→逮捕)はないですよね? ★★☆☆ あの人の「ひとこと」 ☆☆★★(1980年の朝日新聞から) ◎闘うミュージシャン 「日本の歌は30年遅れているね。テクニック、サウンドの技術は世界でもいい線いっているけれど (中略) ロックだって、ベイビー!カモン!ヘイ!、これじゃあね。俺がムカつくのは、ジミー・クリフがしいたげられた民衆の歌を歌うと、レゲエのサウンドだけもらって、日本人は『お前が好きだよ』という曲を作っちゃう。これじゃあ進歩がないよ」(宇崎竜童さん) 「スモーキング・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」など、過去のヒット曲をすべて発売禁止、放送禁止にして封印し、新生ダウンタウン・ファイティング・バンドとして生まれ変わった1980年。ヒット曲が聴けず観客は激減したようですが、商業主義化するレコード業界に波紋を投げかける試みではありました。9月には自主制作版のアルバムを発表。 ★★★ 「1980年にタイムマシンで飛んでいけたら楽しいね」17号
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